初めまして、田中けいすけです。
ブログやTwitterなどでは、けいすけという名前で活動しています。
僕は何者か軽く自己紹介しますと、、
現在、ブログを書いたり、YouTubeで動画を投稿したり、最近では「失敗から学ぶ」をコンセプトにした無料メルマガを書いたり、少しずつ仕事の幅を増やしています。
実績としては、、
- アフィリエイトとアドセンス収入などをトータルすると、30万円稼ぐ。
- ブログの最大PV数は10000PV
ブログ初め立た当初、収益を意識していなかったのですが、2018年くらいからブログに収益の仕組みを作るようになりました。
今ではこうして、普段から文章を書くという作業が当たり前となり、仕事の一つとなっているのですが、12年前の僕が見ると、アリエナイ光景だと思います。
…というのも、そもそも僕は、作文を書くのが大嫌いだったからです。(当時は、緑色の作文用紙を見るだけで憂鬱になっていました)
そんな文章を書くことが苦手だった僕が、文章を書くことが好きになった波乱に満ちた27年間のストーリーを書いていこうと思います。
なぜ、“波乱”と書いたのかというと、自分の生い立ちを友達に話すと、
「嘘でしょ…」「そんな事、本当に起こるんだね…」
…と信じてもらえなかったり、驚かれたりするので、あえて“波乱”と書いたのですが、決してフィクションではなく、実際に自分の身に起こった話です。
失敗(挫折、不幸)から中々、立ち直れずに悩まれている方や、文章を書くことが嫌いな方には、ぜひ読んで頂きたいです。
母親に読書感想文を代行してもらっていた小学生時代
子供の頃は、とにかく走り回ることが大好きでした。
運動しているときは、余計なことを考えずに、夢中になれるので、それが快感でした。
その一方で、国語の授業が大嫌いでした。
なぜ、嫌いだったのかというと、何を書けばいいのかわからなかったからです。
その最たるものが、読書感想文でした。
夏休みになると、必ず宿題の一つに課される“アレ”です。
僕は、そもそも作文を書くことが苦手で、、
「一体、何を書いたらいいのだろう?」
「みんなは、自分が思っていることをどうやって言葉で伝えているのだろう?」
そんなことを考えると、全くペンが進まず、時計を見つめて、ただ時間が過ぎるのを待っているだけで憂鬱になっていました。
それに加えて、本を読むことも大嫌いで、小説を読む→別のことを考えている→内容が入ってこない→読み返す
この繰り返しで、いつまで経っても1冊の本を読み切れずに、夏休みが過ぎていきました。
そして、気が付いたら夏休みもあと1週間。
僕は、なんとか1冊本を読み終えたのですが、
「一体、何から書いたらいいのだろう?」
「あらすじが全て思い出せない。。どうしよう?」
僕の力ではどうしようもないので、母親に泣きすがり、助けを求めていたのです。
そして、最初は、
「どんなあらすじだったの?」
「それを読んで、何を思ったの?」
…と補助をしてもらうつもりが、いつの間にか母親に言われたことを一言一句間違えずに書き切る作業に変わっていました。
その頃からか、僕は常に劣等感を感じて、日々を過ごすようになり、人と常に比較するようになりました。
ですが、普通に楽しい学生生活を送り、それなりに充実はしていたのです。
15歳の誕生日に人生最大の悲劇
そんな平穏な日々が一変するような出来事が起こります。
母親の突然の死です。
しかも、高校受験の前日に…そして、僕の15歳の誕生日に母親は帰らぬ人となったのです。
家族のみんな、そして、知り合い誰もが予想だにしていませんでした。
というのも、当日の朝まで、いつも通り元気で、母は玄関先まで僕を見送ってくれていたからです。
「僕が、母の異変に気づいていたら助かっていたのに…」
「僕たち家族を残して、しかも僕の誕生日にどうしていなくなったの?」
霊安室で、母を見ると、色んな感情が混みあげてきて、泣いていました。
ですが、母の死を目の前で見て、大事な人が亡くなると、これほど悲しくなることが身に染みてよくわかりました。
そして、高校生活に突入するのですが、身内の不幸は次々とやってきます。
高校生になっても不幸は続く
高校に入学すると同時に、今度は叔母が体調を崩し、病院に診てもらうと、末期のガンにかかっており、余命宣告されます。
それから数カ月して、今度は中学校でお世話になった先生が亡くなります。
「なぜ、こんなにも不幸が続くの?」
…と考えていたのですが、考えれば考えるほどよくわかりませんでした。
僕は、少しでもおばあちゃんに元気になってもらえるように何回も自転車で病院まで駆けつけて、よくお見舞いに行っていました。
最初は、「本当に病人?」と疑うほど元気で、病室から出て、エレベーターまで歩いて迎えてくれるほど元気でした。
ですが、時が過ぎていくにつれて、容態が悪化していき、帰らぬ人となりました。
本当にショックでした。
それと同時に、「身内の不幸はこれからも続くのかな?」
身近にいる人が次々と亡くなっていくので、「来月もお葬式に行かないといけないのかな?」そんな心配ばかりしていました。
そんなことを考えていると、友達や家族と本音で話すことがなくなり、上っ面の会話しかできなくなりました。
これ以上、友達を増やしても、また不幸(死)が突然やってくるかもしれないし、本音を打ち明ければ「不幸な人間」だとは思われる。
なので、身内の不幸について、誰一人として言わなかったし、聞かれても上手いこと受け流していました。
自分の中でも、母,祖母の死について考えだしたら、落ち込むので、無かったことにして忘れるように努めました。
肝心な高校生活はどうだったのかというと、部活(テニス)にのめり込んでいました。
テニスをしていると、余計なことを考えなくてよくて、夢中になれたんですよね。
今から思えば、もし、テニス部に入っていなくて、家と学校の往復だけだったら、本当に精神的に病んでいたと思います。
そう考えると、テニスに限らず、スポーツは僕にとって、今でもどこか心の拠り所になっています。
スポーツをしていると、夢中になって、余計な事とか考えないんですよね。
なので、僕にとっては、スポーツをする=ストレス発散だったりするのですが、ストレスが溜まっていたり、精神的に病んでいる方は、何かやっていて、夢中になれることを探してみることをオススメします!
話を戻すと、学業の方はというと、全くでした。
理系だったのですが、ついていくことができず、、
案の定、大学受験でもどこの大学にも受かることができず、浪人することになります。
ここから、泥沼の浪人生活に突入するのです。
泥沼の浪人生活
「浪人になったら本気で勉強しよう!」
現役の時に、そう誓い、いざ浪人生活。
最初は、計画通りに進めることができたのですが、段々、上手くいかなくなります。
勉強はしているのですが、集中が持続せず、自分で立てたノルマもこなせませんでした。
そして、気づいたら、受験シーズン突入。
色んな大学を受験しましたが、まったく歯が立ちませんでした。
…というか、試験が始まって、問題用紙を見た段階で、結果は決まっていました。
というのも、どこにも解けそうな問題がなかったからです。
どんなに頭を捻っても、全く出てこない。
2浪目になっても、改善されることはなく、受ける大学を増やしても、偏差値の低い大学に積極的に受験したのですが、それでも全然ダメ。
「勉強しているのに、どうして成績が全く伸びないんだろう?」
勉強時間だけを見れば、トータルすれば国公立大学に受かるくらいは勉強していたのに、国公立はおろか、私立もどこも引っかかることはありませんでした。
この頃になると、知り合いや後輩に馬鹿にされたくなかったので、近くの予備校ではなく、わざわざ電車に乗って、京都から大阪にある予備校まで行っていました。
今から思うと、愚かだなと思います。
だって、その行動って、自分がどう見られていることしか考えていないっていうことですよね。
結論、僕が思うほど、誰も僕のことなんて見てないし、もしそう見られていても、無視していればいいだけのことじゃないですか。。
ですが、その当時はプライドが邪魔していたんですよね。
おそらく、こういった僕の性格が原因で、大学受験が上手くいかなかったと今から思うと、わかります。
もっと一人で何でも解決するのではなく、人に相談したり、助けを求めれば、ここまで苦労しなかったかと。
気が付いたら、3浪目。
ここまで来ると、流石に親には大学受験は諦めて、就職を勧められます。
ですが、どうしてもここで諦めたくないのと、ここで諦めたら、就職できるとしたら、、肉体労働系の仕事。。
「嫌だ…それだけは嫌だ。」
と思い、親に「もう、これが最後。」
…と説得して、もう一年だけ浪人することに。
今まで以上に勉強時間を増やした結果、近畿大学に合格します。
他の大学も受験していたのですが、見事全落ち(笑)
でも、僕の中では物凄く嬉しくて、「これで晴れて大学生活!」と浮かれていました。
そして、自分が通う大学キャンパスを見ていると、場所が広島に‥
「どういうこと?近大ってキャンパス大阪なんじゃないの?」
よくよく見ると、大阪ではなく、広島にある近畿大学に受かっていたのです。
「嘘でしょ。。」
僕は、どうやら勘違いをして、願書を提出していたのです。
「何で、いつもこう上手くいかないんだろう?」
こうして、後味の悪い結末で僕の大学受験は終えて、京都→広島に引越しをして、大学生活が始まるのです。
学費稼ぐのに必死で、就活を諦めた大学時代
大学時代は、とにかくお金に苦労させられた4年間で、アルバイトに明け暮れる日々でした。
今まで、親のすねをかじって生きてきたので、自分で生活費と学費の一部を稼ぐことは本当に大変でした。
学年が積み重なるごとに、学費が高くなっていき、4年になると、毎日バイトしても払えない。。
なので、クレジットカードの限度を超えるまで、高額カメラとかを購入して、転売し、そこで稼いだお金を学費に充てていました。
そのせいで、クレジットカードの支払いができず、解約されてしまったのは、今となっては良い思い出ですね(笑)
肝心な学業の方は、どうだったのかというと、途中から全く授業についていくことができず、全くでした。
そして、就活はどうだったのかというと、全くしませんでした。
なぜ、就活をしなかったのというと、2つ理由があって、一つ目は、学費を稼ぐのに時間のほとんどが取られて、就活に時間を割くことができない。
2つ目が、最大の理由だったりするのですが、僕には会社で働くのは向いていないと思っていたからです。
…というのも、ここまで僕のプロフィールを読んでもらえれば、気づかれたかと思うのですが、、
受験でも上手くいかなかったし、学校の授業でも全くついていくことが出来なかったし、アルバイトをしてもヘマをして迷惑をかけたりしている人間が果たして使い物になるのかなと。
その当時は、そんなことをよく考えていたんですね。
それだったら、一層のこと、就職をしないという選択もアリなんじゃないかな…
じゃあ、どうやって、飯を食っていくのか?
ちょうど、その時期にブログを書いて、月収〇百万円も稼いで、生計を立てている。
しかも、決して成金とかではなく、まっとうにビジネスについて質の高い情報をブログなりメルマガなりで読んで、自分の可能性を広げられたんですよね。
「自分にも、できるかもしれない。」
僕は、根拠のない自信を人一倍持っている(想像上では、京大には6回くらい合格していますw)ので、絶対上手くいくと思い、まずはブログを作ってみることに。
ブログを作ると、果たして何を書いたらいいのだろう?ってなったんですね。
というのも、僕はこれまで文章を書くことが嫌いで避けていたので、いざブログを書くとなっても、何も書きたいことが思いつかない。
じゃあ、自分の恥ずかしい過去とか失敗談なら書ける!
そう思って、ブログのタイトルを「けいすけの赤裸々日記」として、始めました。
それで、ブログを書いていくうちにわかったことなんですけど、「実は、文章を書くことが好きだ」ということに気付いたんですよね。
昔、物凄く嫌っていた反動で、文章を書くことが物凄く新鮮に感じたというのもあるかと。
今では、気に入った本とかをレビューすることもたまにあるのですが、読書感想文を書くのがあれほど嫌がっていた小学生の自分がその光景を見るとびっくりすると思います(笑)
果たして、ブログを始めて稼ぐことができたのかというと、初めは全くでした。
なんですけど、僕はこれはこれで良かったのかと思います。
なぜかいうと、初めから、ビジネスのみの情報発信をしていたとしても、文章を書くことの楽しさに気付けなかったからです。
しかも、母の死別の話だったり、自分が3浪していたということは、誰にも話せなかった、というより話したくなかったので、こうしてブログで書くことで胸のつかえが下りたとような感覚になり楽になったんですよね。
そうして、気が付いたら、大学を卒業をして、大阪に引越しをして、フリーター生活になります。
フリーターのままでは、ダメだと思い、就活をするも…
フリーターになってみて、まだ、ブログだけでは飯を食っていくことが出来なかったので、アルバイトや派遣で稼ぎながら、その傍らでブログを書くことに。
ですが、中々、ブログのアクセスが伸びませんでした。
その当時は、ガジェットブログと雑記ブログ、この2つに分けてブログを書いていた(今は統合して、このブログ一つで運営しています)のですが、収益化できませんでした。
なので、「やっぱり安定が欲しい!」と思い、就職活動を本格的に再スタートします!
やるからには、本気で取り組もう。
そう思い、就活をしてみたのですが、こちらも中々、上手くいきません。
…というか、そもそもエントリーシートを提出して、応募しているのですが、書類選考の時点で門前払い。
このままでは上手くいかないと思い、手を変え品を変え、自分が思いつく中で、あらゆることを試してみました。
- 特定の業種だけではなく、あらゆる業種の会社に応募を出す
- 転職プランナーの方に相談&履歴書の添削
- Twitter転職をする
- YouTubeで転職動画を出す
など、やってみた結果、内定0でした。
…というか、最初の2つはわかるかと思うのですが、残り2つはよくわかりませんよね。
軽く話していくと、、一つ目は、twitter転職をして、上手くいっている人もいると聞いたので、やってみたのですが、全く反応なし。
二つ目は、YouTubeで「自分は、転職活動しています!」ということをアピールすれば人事の誰かが見てくれて、マッチングすると思い、動画を撮っていました。
今でも動画は残っているのですが、黒歴史です。。
例えば、転職動画にしても、転職が上手くいく方法とかを発信していれば、まだ需要があると思うのですが、「自分は全く転職(就職)が上手くいきません」ということを発信しているだけ。。
「そんなの誰が見るんだよ!」と今から考えればわかるのですが、余裕がありませんでした。
でも、実際にやってみないことにはわからなかったので、これはこれで学びはありました。
80社近くの会社を応募した地点で、書類審査が通ったのはたったの4社、内定0。
「もうそろそろ現実を受け止めるべきだな…」
実際に就活をしてみて、就活市場では全く求められていないことがわかりました。
なので、就活をやめました。
そして、フリーランスとなりました。
なぜ、フリーランスになったのか?そして、何をするのか?
フリーランスになったからといって、急に仕事が舞い込んでくるわけではないのですが、副業感覚のままでは何も変わらないと思い、フリーランスになりました。
本気でビジネスに取り組むことで、自分自身の価値を高めることもできて、自然と収入も増えていきます。
ですが、自分自身の価値が低いままだと、生きづらくなってくる。
これは、僕が派遣の仕事現場で出会う人の話を聞いて、そう思うんですよね。
例えば、介護の仕事をしていたけど、40を超えて急にクビになって、派遣の仕事をしている人。
正社員として就職できると聞いて営業職で入社したのに、契約社員のままで、給料も上がらないため、会社を辞めて、派遣の仕事をしている人。
僕は、その人たちと実際に一緒に働いて思うことなのですが、その人の価値が低いとは思ったことがありません。
むしろ、今まで働いた経験や知識を情報発信すれば、現場で働いていた生の声が聞けるので、質の高いコンテンツとなりますよね。
じゃあ、なぜ、その人自身の価値が低いのか?
そもそも情報発信していないからです。
ブログを作って、情報発信することもないし、TwitterやYouTubeなどを見ることはあっても、発信していない人がほとんどなのです。
情報発信をしていないから、その人は果たして、価値があるのかないのか判断する材料がありません。
本当にもったいない事だと思います。
なので、僕は、情報発信をすることで、自分自身の価値を高めるということを実証していきたいんですよね。
じゃあ、あなた自身の価値が高まると、どうなるのかというと、3つ良い事があって、、
- ファン(読者)が増える
- 収入が増える
- 仕事が増えて、好きな仕事ができるようになる
まず、一つ目ですが、あなた自身の価値が高まれば、あなたの発信するストーリーやコンテンツに共感してくれるので、ファンが増えます。
二つ目ですが、自分がTwitterやブログなどを通して、アウトプット(情報発信)し続ければ、必ず見てくれる人がいます。
例えば、継続してブログで記事を書いていけば、アクセス数は増えます。
そのブログの中に収益を生み出す仕組みを作り出していけば、自動的に稼ぎだすことができます。
もう少しわかりやすい例で言うと、YouTube。
YouTubeは無料でたくさんの動画を見ることができるのですが、そこに広告が付いています。
なので、動画をたくさんの人に見てもらえれば、その動画を作ったクリエイターにたくさんの収益が入ってくるのです。
そうすることで、あなた自身の価値は高まるし、収入も増えていくということです。
そして、3つ目。
2つ目のように、アウトプット(情報発信)していき、成果を出したノウハウというのは、物凄く価値があるので、「うちの会社のこの仕事を手伝ってほしい」だったり、オファーが貰えて、仕事が増えていきます。
たくさんある仕事の中から、自分がしたい仕事を選択して、働くことができるんですよね。
この状態になれば、仕事で困ることはありません。
僕は、この状態になりたい(仕事もお金も困らない)し、そういう人を増やしたいです。
失敗から学んだことを惜しみなく伝えていきたい
…とここまで、僕のプロフィールを見て頂いたわけですが、自分のプロフィールを振り返ってみると、失敗の多い人生だと思うんですよね。
まず、自分の身の回りにいませんでした。
決して、失敗自慢とか不幸自慢したいわけではありません。
むしろ、今までは恥ずかしいことだと思って、誰にも話さず隠していました。
「でも、このままだと、成長できない。失敗から学ぼう!」
そう思った次第。…というか、僕にはこのスタイルしかないんですよね。
だから、これからもたくさん失敗することがあると思います。
なんですが、その度に失敗から学び、それを発信する。
「なぜ、失敗したのか?」を伝える。
これこそが最強のコンテンツであり、みんなが学ぶべき教訓が詰まっています。
だからこそ、僕は「なぜ、失敗したのか?」を伝えていき、その失敗からどうやって乗り越えていったのか伝えていこうと思います。
こんなに長くまで読んでいただいた読者の方に感謝します。
最後まで読んで頂きありがとうございました。